12
アレンが気づくと、隣では神田が
汗で顔に張り付いた髪を少しずつ掻きあげてくれていた。
自分を慈しむその表情に、おもわず嬉しさがこみ上げてくる。
───帰って来て良かった。
自分だけの神田がいるこの世界が、
やはり自分のいるべき世界なのだと思えた。
そして、ほんの少しだけ照れ笑いを浮かべ、
嬉しそうに神田の胸に顔を埋めてみる。
「気がついたか?」
「……うん……」
「すまない…ちょっとムカついて、無理しちまった」
「……ううん……大丈夫です……」
それよりも、神田とこうして同じベッドでいられることのほうが
アレンにはたまらなく嬉しかった。
目の前に見える、神田の胸の梵字をそっと指でなぞる。
「ほんとうに…神田だ…」
大好きで、大好きで、誰かを貶めてでも
手に入れたいと思ってしまうひと。
ふと、あちらの世界で出逢った、
哀しそうな神田の顔が脳裏に浮かぶ。
「僕、思うんです…向こうの世界の神田は、
きっと僕がこっちに帰っちゃうんだって、
はじめから判ってたんじゃないのかなって……。
だから、自分が持っていた琥珀を僕に渡してくれた。
つがい
……神田が持っているもうひとつの琥珀に会わせたかったんだと思います。
……きっと……」
あの時、目の前から立ち去ろうとした自分を止めようとした彼の瞳は、
まるで行くなとでも言っているように見えた。
あの切ない眼差しが、今でも甘く脳裏をかすめる。
「かもしれねぇな……お前がもう一つの琥珀を持っていてくれるなら、
きっとこいつも喜ぶだろう。
それに……本当は俺も、お前にこの琥珀を手渡そうかと考えてたとこだった。
この琥珀は、いつでもお前を護ってくれるような気がしたからな」
そんな想いの先を越された気がして、神田余計に腹が立った。
見も知らぬ別世界の自分に、まんまと先を越されたのだから、
怒るなと言う方が無理というもんだ。
だがもし自分が琥珀を先にアレンに手渡していたら……。
この二つの琥珀はあちらの世界で再会したことになる。
つがいの琥珀が互いに引き合うというならば、
今、こうして自分の目の前にいるアレンは、
あちらの世界に留まってしまったのかもしれない。
何しろこの琥珀は、
持つ者同士を引き寄せて離さない不思議な力があるというのだから。
──なら、琥珀を先に手放した、向こうの負けだ。
神田はそう考えて、唇の端を僅かに上げた。
「なぁ…モヤシ。
まさかお前、俺に抱かれながら、
他の奴のこと考えたんじゃねぇだろうな?」
「えっ? そっ、そんなことっ、あるはずないじゃないですかっ!」
アレンは焦って否定した。
確かに抱かれている最中は、それこそ無我夢中だったが、
ふと今しがた頭の中で思い出したのは、
最後に見たもう一人の、あの神田の寂しそうな瞳だった。
自分がこの世界へ戻ってきたことで、
今、あちらの神田はどうしているだろう。
少しは寂しがってくれているのだろうか。
……それとも……。
一夜限りの、切ない情事が思い出されて、
今更ながらアレンの胸を熱くした。
「……神田……僕、正直いうと、
あっちの世界の神田のことも好きでした。
怒らないでくださいよ?
だって、見た目も性格も仕草も、何もかも同じだったんですから!
……要は、僕は神田のことが全部好きなんだって、
嫌になるほど自覚しちゃったってことです……」
さり気ないアレンの告白に、神田もふいをつかれた形になる。
少しむっとした表情はしたものの、
これ以上無駄に怒ってみた所で大人気ないだけだ。
アレンも結局は自分を選んで戻ってきたわけだから、
その気持ちに偽りはないだろう。
神田は軽く溜息をいて気持ちを切り替えると、
今まで疑問に思っていたことを尋ねてみた。
「で、あっちの世界でのお前……いや、
お前にうりふたつの奴ってのは、何ていう名前なんだ?
まさか名前まで同じだったっていうわけじゃないだろ?」
「うん……ロスト……ロスト・パステージって言ってた……」
「……はぁ……?」
その名前を聞き、神田はより一層深い溜息をついた。
「……神田?」
「お前……その名前聞いて何も気付かなかったのかよ?」
「えっ?」
アレンは神田にそう言われて、
顎に人差し指を当てながらしばらく考え込んでいた。
そしてしばらくしてから、何かに気付いたように大きな声を出して叫ぶ。
「あ〜っ!! ロスト・パステージっ!
……つまり『失った過去』ですかっっ!」
神田はようやくその事実に気付いたアレンの頭を、
呆れたように軽く小突く。
「要は、自分が葬った過去に泣かされてたって訳だな」
「はぁぁ……ですよねぇ……。
自分の過去に、今の自分には何が一番大切なのかを、
結局教えてもらったってことですよね…?」
なんだか無性に情けない気分になって、
アレンは、隣にいる神田に力なく抱きついた。
「僕にはキミが一番大切なんだって、よぉ〜くわかりました…」
「ばぁ〜か…」
照れ笑いを浮かべる神田に思わず可笑しくなってしまい、
アレンは抱きつく腕に力を込める。
「大好きです……神田……」
「ああ……俺もだ……」
神田はアレンを優しく抱き返した。
そして、ふと思う。
もし自分がアレンのように過去を変えられると言われたなら、
一体どうしていただろう。
確かに人間、変えられるものなら変えてしまいたい過去の一つや二つある。
だが、どんなに辛い過去でも、その積み重ねがあって今があるのだと、
神田は確信していた。
イノセンスという強大な力を持って尚、
自分が鍛錬を欠かさないのは、その積み重ねを大切にしているからに他ならない。
「人間は贅沢だからな。今がどれだけ幸せでも、
明日はもっと幸せになろうと欲を張る。
過去は消しゴムで簡単にけせるほど軽いもんじゃねぇんだ。
どんなに辛くても、どんなに苦しくても、
自分で背負ってなんぼのもんなんだよ……」
神田らしい言葉だと思った。
胸に宿命の梵字を抱えながら、
その重さに負けることなくしっかり前を見据えて立っている。
そんな神田にアレンは惹かれたのだ。
そして自分も、呪われた過去を背負っていけばこそ、
この人の隣に立っていられるのだと思った。
―――何の枷も持っていない綺麗な僕では、
神田の愛を得るには不十分ってことか……。
妙に納得させられた。
神はその人間に見合った苦悩を与えるという。
それは神が自ら与えるものではなく、
生まれいずる人間自らがその量を申し出るのだそうだ。
要するに苦悩の重さそのものが、
神から得た信頼の重さということになる。
だからこそ、人間はその苦悩に耐え、
人生をまっとうしなければいけないのだ。
途中で挫折し自害した者に、天国への道が開かれないというのは、
おそらくそこからくるのだろう。
「神田……僕、やっぱりミランダさんに謝らなくちゃ!」
「こんなに辛い目に会ったのにか?」
「だって僕、もう一つの彼女にお願いしなくちゃいけないことができたんです」
「お願い……?」
アレンは少しはにかみながらこう続ける。
「もし、僕が自分の使命を成し終えて、きちんと人生を生き抜けたなら、
そのときは僕……神様にお願いして、
彼女の…ミランダのイノセンスをちょっとだけ借りようと思うんです」
「……まさか、それでまた過去へ行くとかか?」
「いいえ、神田は怒るかもしれないけど、
今日、この日で僕らの時間を止めてもらうんです」
「はぁ?」
神田は理解できないといった顔をする。
「前にミランダと会った街は、ずっと同じ日が繰り返されてたんですよ。
朝起きると、また同じ一日が始まるんです。
最初はこんな毎日を繰り返すなんて耐えられないと思ったんですけどね、
これが以外に楽しかったんです。
唯一耐えられなかったのは…、神田…キミが一緒にいないって事だけでした。
……だから……」
「……だから、俺と一緒にいられる今日を選ぶのか?」
「ええ、そうです!
例えこの先、どちらかが命を絶たれるような事になったとしても、
また今日この日に戻ってこられる……。
またキミとこうして抱き合える……。
そう思えば、もう怖いものなんて何もないじゃないですか?」
嬉しそうに微笑むアレンに、
神田は降参したとばかりに両手を挙げて見せた。
「ホント……お前には叶わないな……」
――― 俺もお願いしてみるか ―――。
そう耳元で神田が呟いたのを、アレンは聞き逃さなかった。
そして満面の笑みを浮かべると、大好きな恋人の胸に
思い切り飛び込むのだった。
えにし
琥珀の繋ぐ縁が、再びふたりを引き合わせた。
そしてこれからも永遠に二人を繋ぎとめる。
時空をも超えた、永遠の絆で。
そんな今宵の秘め事を、頭上に輝く月だけが
ただ静かに見詰めていた。
〜FIN〜
《あとがき》
長い間、お付き合い下さり、本当に有り難うございました。(=^▽^=)
この作品は、個人的にも思い出のある作品です♪
そんな作品を皆様に読んで頂けて嬉しいですw
正直、昔の文章はかなりつたないというか、
よくもこんな作品を皆さんに配布できたなぁ〜と恥ずかしく思う所であります;
ですが、これからも精進して、
素敵な作品を皆様にお届けできるように頑張りますので、
どうか末永く応援して下さいませね〜〜〜〜〜ヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ
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